いえ、氷山にぶつかって船が沈みましてね。 わたしたちはこちらのお父さんが急な用事で二ヶ月前一足先に本国へお帰りになったので後から発ったのです。 わたしは大学へ入っていて、家庭教師にやとわれていたのです。 ところが船が出てちょうど十二日目、今日か昨日のあたりです。船が氷山にぶつかっていっぺんに傾きもう沈みかけました。 月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。 慌てて脱出しようとしていたのですが、もうボートは左舷の方の半分がだめになっていましたから、とても乗客みんなは乗り切らないのです。 もうそのうちにも船は沈みますし、わたしは必死になってどうか小さい人たちを乗せてくださいと叫びました。 近くの人たちはすぐ道を開いて、そうして子供たちのために祈ってくれました。 けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子供たちやその親なんかがいて、それを押しのける勇気がわたしにはなかったのです。 どうしてもこの人たちをお助けするのがわたしの義務だとおもって押しのけようとしても、段々とこのまま神のみ前にみんなで行くのがこの方たちのほんとうのしあわせだと思えてくるのです。 それから、やっぱりそんな神にそむく罪はわたし一人でしょってぜひとも助けてあげようとおもいました。 けれども、子供らばかりボートの中にはなしてやってお母さんが狂気のようにキスをおくっているのなんかや、その後ろでお父さんが悲しいのをじっとこらえてまっすぐに立っているのなんかを見るともうはらわたも千切れるようで、どうしてもそれを押しのけようなんてできないのでした。 そのうち船はもうずんずん沈みますから、わたしはもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、浮かべるだけは浮かぼうと固まって船の沈むのを待っていました。 誰かが投げてくださったのか救命用の浮き袋が一つ飛んできたので、わたしはもう懸命に甲板の柵を離してそれに取りつこうとしました。 それは遠くに滑っていっていましたが、何とか私たち三人でしがみつく事ができました。 そうしていると、どこからともなくアベマリアの二番の声が上がりました。たちまちみんなはそれぞれの国の言葉でそれをいっぺんに唄いました。 そのときにわかに大きな音がしてわたしたちは水に落ち、ああもう渦に入ったとおもいながらしっかりこの人たちを抱いて、それからぼうっとしたと思ったらもうここに来ていたのです。 この方たちのお母様はおととし亡くなられました。 ええ、ボートはきっと助かったに違いありません。何せ、よほど熟練な水夫たちが漕いで素早く船から離れていくのを見ましたから。