忘れられたモノは……  川からやってきたそいつは奇妙ないでたちをしていました。  その着衣は回遊魚の鱗を思わせるようなてらてらと光沢の放つ見たことのない素材で、身体にぴったりと張り付いているようでした。  しかしその割に身体のラインがはっきりとわかるわけではなく、身体のあちこちに不自然にでこぼこに浮かび上がった部位などが見受けられました。  首元や腕にぴったりと密着している様子から、おそらくは張り付いているのだろうと伺い知れましたが、それも推測にすぎません。  そいつの身体のでこぼこはどれも歪なものばかりでしたが、一番大きく目立ったのはお腹の辺りから横方向に伸びる奇妙な二つの突起物でした。  左右両側に一本ずつ伸びたそれらはそいつの腕の三分の一ほどの長さがあり、まるでもう一組の腕のように見えなくもありませんでした。  その先端はやや丸みを帯びていて、その丸みを頂点にテントを張っているかのように左右対称の歪な二等辺三角形がそいつの身体の側面に張り付いているのでありました。  しかしこの描写は間違っているのかもしれません。  衣服の伸び張り具合からそのような推察を致しましたが、もしかしたら突起部分のみが円形に膨らんだ二つの巨大な藤壺のようなものが張り付いていたのかもしれません。  なにしろその着衣はてらてらと光を反射していて、透けて中が見えるということはありませんでしたので、 そいつの着衣を脱がせるか、触って確かめるかでもしない限りその真相を明らかにすることはできそうにはありませんでした。  それらのでこぼこがそいつの身体の一部なのか、はたまた、着衣の中に隠し持ったなんらかの物体であったのかについても同様に不明でありました。  と、まぁ、その着衣からしてもいささか奇妙さが伺えたものでしたが、もう一つおかしなことがあったのです。  その着衣ばかりか露出した肌も含めてそいつの身体には水滴の一つもついてはいなかったのです。  貴方もご存じであるかもしれませんが、この川の川幅はそれはもう広く、天気の良い日でなければ向こう岸を肉眼で目視することは困難なほどなのです。  おまけに二つの岸を結ぶ橋も渡す定期船も一切存在してはおりません。  水面は穏やかなようでありながら水面下では複雑な水流が混じり合い、知識ないものが船でも漕ぎだそうものなら、 いとも容易く渦に引かれ、そうなればもう骨になっても水底から浮かび上がってくることはできないと聞きます。  彼岸から船を渡してやってきたという方がこの街にもおりますが、私はその方にお会いしたことはございません。  あまり多くを語らない方だとお聞きしています。  ……おっと、すっかり本題から逸れてしまいましたね。  ともかくこの川から来るということが尋常なことではないということはお分かりいただけたかと思います。  そればかりでなく奇妙な着衣をまとい、一滴の水分をも寄せ付けないいでたちであったというのですから、 私の驚きのほどは想像に難くはないかと思います。  ところで貴方はこのを聞いていて不審に思われたことはございませんか?  え、わからない?  そうでしたか。  いえいえ、何を不審に思い、何を当然と思うかは各人の自由でありますし、個性であります。  ですから貴方の思考を取り上げて非難しようとか、嘲けるなどという意図は、こちらにはまるでございません。  ええ、できればこの頭の中に走る電気信号を貴方にお見せしてでもそれを証明して差し上げたいくらいです。  え、そんなことはしなくてもいい?  信じていただけるのですね、ありがとうございます。  ええ、そういったこちらの善意を知っていただいたうえで、貴方に一つの指摘をしたいと思うのですが、……よろしいですか?  ありがとうございます。  その指摘というのは他でもありません。  貴方は不審には思われなかったようでございましたが、この話にはやはり一つ、おかしな点があるのです。  何故そいつの顔に対する描写が抜け落ちていたのでしょうね?  ……そうです。  そいつの奇妙ないでたちにばかり注目して話をしてきましたが、これではそいつが普通の人間なのか、 あるいはそれ以外の何かであったのか、聞いている貴方にはそれすら判断できなかったでしょう。  実際貴方はこの話を聞いていてどう思われていたのですか?  河童のような妖怪の類だと思っていたのですか、それともあなたと同じ人間だと?  え、わからなかった?  わかってないことすらわかってなかった?  ではなぜ貴方は何故それを不審に思わなかったのでしょうね。  ……いえ、失礼しました。  そうです。  先程の話の通り、何を不審に思うのも、あるいは思わないのも、貴方の自由です。  それにケチをつけようとしているわけでは決してないのです。  しかしながらもう一つ、もう一つだけ、失礼を承知で聞いてはいただけませんか?   これは大切なことなのですよ、きっと貴方にとっては。  きっと聞けば何か気付かれることがあるのではないかと推測します。  ええ、そう、これは、他でもない、貴方のことなのですよ?  何故貴方は、そいつの顔を覚えてはいないのでしょうね?  思い出しましたか、思い出しましたか?  思い出しましたね、思い出しましたよね?  思い出した、思い出した、ほら、思い出した、あぁ、思い出した。  ……貴方は、思い出してしまった。  どうしてこちらを見ないんですか?  どうしてこちらを見ないんですか?  大丈夫です、すぐに思い出せますよ……。  貴方の見たそいつは……こんな顔をしていたんでしょう?