犬 漆黒 もう離さない 彼女がいなくなってしまったのは、私の不注意故だった 元より冒険家気質だった彼女は、私が一瞬気を逸らした隙にするりと手の中から抜け出していった 「待って!」 声を上げても、彼女は止まらない。止まってくれない 普段なら止まって、私を振り返ってくれるはずなのに 見る間に姿を小さくした彼女は、私の視界から消えていった それでも、何処か甘く見ていたのは確かだろう 彼女は賢い子だから、きっとお腹が空けば帰ってくるに違いない そう思っていたのに、彼女はいっかな帰ってくる気配を見せなかった 一日経っても、一週間経っても。彼女は帰ってこなかった 胸に穴が空いたようだった 彼女なんていなくても大丈夫だろうと思っていたのに 私は、自分が思っていた以上に、彼女の事を大切に想っていた 迎えに行こう。探しに行こう 思い立ったが吉日。決心硬く、私は夜の街へと繰り出した。 その日は雨が降っていて、風は身を貫くように冷たい 私の身体では、町中を歩き回るのは少し辛くて。 それでも彼女にまた会いたかったから、私は街を行く 雨に濡れた、水溜まりの水を被った 人にぶつかった、警官に注意された 身は凍える。冷たさは痛みになる それでも私は諦めなかった 探して、探して、探して もしかして、もう死んでしまったのではないかと、諦めが顔を覗かせた時 視界の端で、彼女の姿を捉えたような気がした 「待って!」 彼女は走っていた。私の手から抜け出したときのように 私はその後を追う 追って、追って。追って、追って。 薄汚い川原にたどり着いた 降り続く雨で増水している川原に、彼女は蹲っていた 私は、少しずつ近づきながら彼女に声を掛ける 今までどうしていたの。どうして逃げてしまったの 答えはない。答えはない 幾ら呼びかけても、彼女は私に顔を見せてはくれなかった 酷く嫌な予感が胸の中に満ちた 確かめるのが怖かった。知るのが怖かった それでも、私は、彼女とまた一緒にいたいと思ったから ――手を伸ばす 蹲る彼女に手を触れる その身体は、私の身体と同じように冷え切っていて 命の息吹は欠片も残っていなかった 嘘だと言って欲しかった。間違いだと言って欲しかった けれど、いつもあったはずのぬくもりはもう無くて 私は、涙をこぼした 涙なのか雨なのか、わからなくなるぐらいに泣いて、泣いて そして、一つのことに気が付いた 蹲る彼女の身体。そこに小さく動く命があった きゅう、きゅう、と小さく声を上げる命が 「あ、ああ……」 それは彼女が残してくれたものだった それは彼女が守ろうとしたものだった 私は手を伸ばしてその小さな命を腕の中に収める もう死んでしまった母に、まだ縋ろうとする命を一心に抱きしめて 「もう二度と離さない」 私は雨の中で、眠る彼女にそう誓った