朗読『会談と階段の階段』 これは、私がビルで警備のアルバイトをしていたときの話です。 丁度夏の暑い盛りでした。 夜になっても昼の蒸し暑い空気がまだ残っており、ビルの上から下まで見回ると 階段の上り下りでハンカチを絞れるくらいに汗をかいてしまいます。 エレベーターは点検不備の問題が浮上していた頃だったので、このビルのエレベーターも あわてて点検していたらしく、使用停止になっていました。 とはいえ、難しい仕事ではありませんでしたし 時給が高かったのでいい穴場を見つけた、と思っていました。 アルバイトを始めてしばらく経った、ある晩のことです。 そこそこ大きなテナントビルだったので、いつもは3人で巡回していたのですが その日は都合で2人だけで巡回していました。 さすがに手間だな、とは思いましたが その日もいつものように懐中電灯を片手に、交代でビルのフロアを回っていました。 午前二時を過ぎた頃でしょうか。 「ザワザワ・・・ザワザワ・・・」 7階の一番端のオフィスから微かに数人の人が話すような声が聞こえてくるのです。 「まさかな・・・。」 私は幽霊をあまり信じていなかったので 長いこと静かな空間に居すぎて、空耳が聞こえているのか、そうじゃなくても 何かの聞き間違いではないかと考えました。 一番端のオフィスのドアをゆっくりと開けました。 オフィスには誰もいませんでした。 部屋の明かりをつけて、隅から隅までぐるりと回って確認しました。 電子機器が付けっぱなしになっているわけでもなく、もちろん幽霊がその場にいるわけでも ありませんでした。 ですが、耳を澄ますと聞こえてくるのです。 「最上階である7階」の天井から、まるで話し合いをしているかのような声が・・・。 「はぁ・・・はぁ・・・。」 懐中電灯を握る手がじっとりと汗で湿っていきます。 気のせいか、いえ、確かに周りの空気が重く冷たくなったように感じました。 怖くなって急いで階段まで走るのですが、身体に力が上手く入らず、 走っているというより、よたよたと歩いているかのようでした。 重い体を引きずり、階段までたどり着きました。 手すりを伝って、何とか事務室のある1階まで降りようとするのですが 途中でおかしなことに気がつきました。階段はコンクリートで出来ているはずなのに 何故か手に触れているのはゴムの感触でした。 そして、右足、左足、と階段に足を下ろすのですが、一向に進みません。 「ガタタン、ガタタン、ガタタン」 だんだん、機械の動く音が耳に入ってきます。 これは階段ではありません。 このビルには存在しない上りエスカレーターだったのです。 「はあ!はあ!はあ!はあ!」 身体の疲労、エスカレーターの振動、音。 それらが私の三半規管を狂わし、周りがぐうるりと回るように感じ、 私は気を失ってしまいました。 「気がついたか!大丈夫か・・・?」 気がつくと、私は汗でびっしょりになってビル1階の事務室で横になっていました。 どうやら、私は声を上げていたらしく、それを聞いたアルバイトの先輩が 2階から3階の階段で倒れている私を見つけ、事務室まで運んでくれたそうです。 それからすぐにアルバイトをやめました。 しばらくして、そのビルの近くでアルバイトをしている友達から聞いたのですが テナントビルが建つ前は、8階建てのデパートだったそうです。 バブル崩壊の後に途端に経営が傾き、エスカレーターで子供が巻き込まれて死ぬ、という 事故をきっかけにすぐさま倒産してしまったそうです。 あの7階より上から聞こえた声は、経営難に苦しむ幹部達が話し合う声だったのでしょうか。 階段がエスカレーターになったのは、子供が死ぬ直前にみた景色や思いが その場に残っていたからなのでしょうか。 私が体験したことの真相は、未だに分かりません。